まくしたてるって・・・
どうにもつっかえて読み取れないのが「まくしたてる」の使い方。
一頃、ナベツネが巨人オーナーだった頃に良く見られたものですが、
最近はスポーツ選手の談話とかでも良く見かけます。
しかし、どうにも納得できないのです。
まくしたてる:
息もつかせず、激しく言い立てること。
一方的に喋ること。立て続けに述べ立てること。
昨日の広島の小窪内野手が勝ち越し打を放ったときの感想について、
記者が「まくしたてた」と彼の言い方を表現しました。
確かに、興奮していて言ったという感じでは合っているのかもしれませんが、
どうにも、記者に耳を貸さず、言いっ放しだったという印象です。
まくしたてるって使うときは、人の話を遮ってまでとか、
場の雰囲気を考えず主張を押し切る感じで言い放つときに使う気がします。
つまり、聞かされる側が不快に感じるときの言葉。
ナベツネで例えるなら、
巨人が負けて打線の低調ぶりの意見を記者が尋ねたら、
打線の話から飛び火してFAやプレーオフにまで話が及んで、
あれがだめだこれがだめだと必要以上に言い放つ。
挙句の果てには取材の仕方がだめだとか感情的とも取れる言い方になったりする。
こういうのがまくしたてるという言葉で表されるべきかと。
この小窪内野手の場合だと
興奮気味に熱く語ったとすれば、十分に盛り上がりが伝わるでしょう。
まくしたてるというのは、コミュニケーションが成立しない印象を受けます。
4番が打てずに監督が試合後に談話をまくしたてたとか、
横綱の言動について会長が発言をまくしたてたとか、
野党が政策の不備について国会でまくしたてたとか・・・
いずれも、色々主張したりする場で正当な発言をしているのに、
多くしゃべるだけでまくしたてるという言葉が成立している感が。
最近は空気読める人間になろうとしきりに脱KYが聞こえますが、
図書館で騒いでいる人に注意しただけで「あいつKYだ」とか、
酒飲めないのでほどほどで楽しんでいたら「あいつはKY」とか、
善悪の判断とか常識とかモラルとか関係なく、
周囲に迎合しない人たちすべてKYと区別感じを最近受けます。
どうにも納得できないことばかりです。
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